こちらの情報は、現在の京盛会 会長 山本 博行 様 より提供をいただきました。
ご協力、感謝いたします。


昔から由所正しい通りだったことを思い浮かべ、一度闊歩されてはいかがでしょうか。
 
うつぼ公園(元米軍連絡用飛行場跡)
 うつぼ公園がなぜあるのか。・・・・・

 戦前までは現在のうつぼ公園のあたり(京町堀の南側)は、商店や乾物の問屋などが船場の様に立ちならび、賑わっていましたが、昭和20年の空襲にて焼け野原となってしまいました。 終戦後いち早く進駐軍が陸軍連絡飛行場として接収し、元の住人は大阪市から換地をもらったり買収されたりしました。

 (陸軍航空隊は現大阪ガスビルを接収していました)飛行場の門は現在うつぼ会館のところと科学技術センターのうらあたりの2カ所にあり、また管制塔は東園中央のスポーツマン会館の建物です(元は倉庫)。これも平成18年の大阪バラ会議の整備でなくなります。この管制塔の東側に格納庫がありました。
 昭和27年米国より大阪市に返還されたとき、公園の整備が始まり、現在の東西に伸びる公園ができました。(完成時は現在の「なにわ筋」もありませんでした)

 この説明で都心部にありながら東西に一直線に伸びる公園があることを理解できたと思います。
 現在のテニスコートの以前は、芝のサッカー場で「西区民運動会」が毎年行われていました(現在は九条松島公園で「西区民祭り」として行っています)が、その後、サッカー場は長居公園へ移転されました。
 
小説に出た町会
  山崎豊子さんの小説「花のれん」や「せんば」の中に京町堀が登場します。

 また、茂木草介さんが脚本されたNHKドラマ「けったいな人々」(藤田まこと、林美智子主演)の中では、現在も存在する「みやこ寿司」や「大谷クリニック(当時大谷医院)」が出てきます。
(「みやこ寿司」については店自体ありますが、現在営業はされておりません)
 
明治天皇大阪行幸
 明治5年5月28日、東京より海路大阪に来られ、午後8時川口運上所に御上陸、愛馬にて京町堀通りを東進され、北御堂行在所にご到着されました。この時町会の各家は提灯を出し、土下座せず拝顔しお迎えをすることができるという栄を許されたそうです。 当時の居住者の光栄と喜びは大変だったそうです。

 明治36年第五回内国勧業博覧会が開催された時も京町堀を通られました。当時は前述のように大阪で大きな船が着く川口や永代浜から大阪城へ延びる道路は、この京町堀通りしかないというメインストリートでした。

 余談ですが昭和45年の大阪万国博覧会で大阪に来られた国家元首の幾人かも土佐堀通りを通らず、京町堀通りを通過されたそうです。大阪サミットも同様のようでした。
 
地蔵盆
  町会内には江戸時代から祀られている「宝珠地蔵」があり、地域の子供達の安全を見守っています。
 毎年8月23・24日には地蔵盆が行われていましたが、最近では人手の不足などにより23日だけなっています。